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2007年5月23日 (水曜日)

健診から告知まで

6月を前にして勝手に「反省強化月間」にしています。

もうすぐ、健診から1年。また健診が6月にあります。

いままでの事を思い出しながら真面目に書いてます。

これからのために…

今思えば、あの頃は一杯一杯だったなぁ…

健診から癌の告知まで

白黒はっきりするまではだれにも言わない、黒であっても言えないと思っていた。

 

 訳あって自分の両親と同居している。暮らしている中でこんなに仲の悪い冷戦状態の夫婦は見たことがない。原因は父の態度が悪い、母親が精神的に苦労している姿を幼い頃から見て結婚するものじゃないと思っていた。何度となく夫婦の危機を一人っ子である私が子供なりの方法で救った(今思えば救わなくて良かった)…『子は鎹』という重役を背負っていたし今も背負っている。そんな両親だ。

今でも私が一緒に住んでくれなかったら、父とは暮らせないと70歳ちかくなる母はいう。

 主人は単身赴任で東京にいる。月に1、2度 出張にあわせて帰ってくるぐらい。

主人とは同級生だったので、対等意識があり頼るとか頼られるとかではなく夫婦として一緒の歩調で並んで歩いて行きたかったし、今もそう思っている。

離れている主人にはまだ言えない、電話で話せるような事でもないし。

 

 主人は磯野家のマスオさんと同じように嫁の両親と同居してくれているわけだ。私も子供が男の子だったら、永遠単身赴任の主人にかわり男の子を育てる自信はなかったが、二人とも娘だったので、母親(私)の背中見て育ってくれればいいやと両親と同居する中で考えている、主人は嫁の両親と同居するより単身赴任の方が気も楽かもしれない。

 余談だが、まだ田舎の家長制度が若干残っているこの地方では「男の子=跡継ぎ」で大変喜ばれる。跡継ぎ・墓守なんて誰でもいいだろう。自分が骨になったら、そこらに撒いてくれればいい。仏壇や墓に祭ってもらうほどの人間でもないし。(…といっても主人と私の家にそれぞれ仏壇、先祖の墓がありどうしたものか)

嫁の親と二世帯でありながら、主人だけ単身赴任…正直、主人にはこうなる以前から申し訳なく思っている。

 市町村単位で行う健康診断の結果は大体1ヶ月後に自宅に郵送される。

 昨年6月上旬に健診を受けてから、その3日後に健診を請け負っている健診センターから夕方6時過ぎに電話があった。

異例の速さ、しかもこの時間の電話という事にただならないという緊張感はすでにあった。

「触診では判らなかったのですがマンモグラフィの映像で再検査となっています。」という内容だった。

 以前やはり健診で発覚した『子宮頚部異型上皮』の手術をうけたS病院にかかることを電話で告げ、検診センターから早急に紹介状を送ってもらう手はずをとった。

ちょうど、その日は夜、活花教室があった。休むとただならない緊張感を自分自身認めてしまうようで悔しかったので、内心「落ち着け、落ち着け」と言い聞かせながら普段どおり出掛ける。

師匠さんに「知り合いが健診結果を電話でもらったのだけど、電話なんてありえる?」と白を切って聞いてみた。通常なら健診結果は1ヶ月後郵送だから。

師匠の母親がやはり市町村の検診で3日後に電話連絡があり、すぐ病院にいったらそのまま入院だったと聞かされ、待っていたわけでもないのに『ついに来たか』と癌を意識してしまった。

6月中旬 S病院の乳腺外科に予約した。

担当医は「まだ、検査してみないと何とも言えませんから…」と、そりゃそうか…

仕事の都合をつけ、最短に各種の検査が終わるよう、担当医の予定に滑り込ませてもらった。

 まだ誰にも言えない。ただ子供同士仲良しのお母さん(私も友達)には再検で検査に度々行かなくてはならなくなった事だけ伝えた。塾の送迎…学校の行事などこれから頼まなければいけなくなるだろうから。

 マンンモグラフィ・エコー・CT・血液検査…7月入りに細胞診(マンモトーム)を受ける。最新の検査らしい…

検査にはH医大の医師が担当する。S病院なのになぜH医大なのだろうと思ったが、S病院のHPの中で主治医がH医大で講師をしている事も知っていたので、それつながりなのだろうと思った。とにかく結果さえ正確に出してもらえばいいのだ。

 検査の間、狭い検査室にH医大のO医師と検査技師、実習生の他、主治医それから同じ乳腺外科のS医師も立ち代り入ってこられ「頑張りましょうね」と声をかけられる。励まされて嬉しいが、励まされすぎてこれでは癌確定じゃないかと冷静に悟った。

 主人には「再検査だけど大丈夫だと思うよ」と言っていたが、この日の感じから「もしかしたら悪いかも、まだ確定じゃないけどね。両親には言わないからお義母さんにもまだ言わないでね」と主人がうちに帰ってきた時に伝える。気丈だった自分。(振舞ってたのかな?)

 両親には言わない。その年は8月に祖母の初盆を控えており、両親ともそれで頭が一杯、しかも初盆前に知ったら法事に出席した親戚中に泣きの涙で語られてしまう。同情だけは絶対にいやだ。

それに祖母が亡くなってすぐ、母は鬱病になりそれから難聴になってしまった。

原因は父だった…父の言葉を聞きたくないための難聴と鬱。精神的なDVとまで言っても過言ではないので母には精神内科を受診させ、やっと良くなってきた頃だった。余計に言えないし、結局入院ぎりぎりまで告知しないでいた。

それまで、「以前の乳腺炎のせいかな?良性みたいだよ」とごまかしていた。

 

娘たちには正直に検査の様子を話した。同性であるし…しかも癌になりやすい遺伝子を受け継いでいるかもしれない…隠さない方がいいと。

 楽天家の娘なので気持ち的には複雑だったかもしれないが平常心でいてくれた。

 この時点で不安はあったが、癌だとしても泣くほど辛いような感情や後悔はなかった。

 毎年、健康診断を受けてきて、やるべき事はやっていたという気持ちがあったと思う。早期治療の部類だし。

 

叔母の死が底辺にあり自分の体を自分で管理して限られた時間であっても悔いなく過ごす事ができると思うと不謹慎だが有難くもあった。

癌になったことは悔しいが、今 自分の体に起きていることが隠されることなく医者から告げられ、どういった治療を受けるのか選択権も自分にある事が嬉しいと思えた。

…雰囲気で癌だなと告知前に思った。

個人的な反省にお付き合いくださってありがとう <(_ _)>

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残しておきたい事」カテゴリの記事

コメント

★hiroちゃんへ

ありがとね、hiroちゃんはどう?治療進んでる?
hiroちゃん、仕事と両立は大変だよね。無理しないでね。
うちのトイレに(…トイレ…(^^ゞ…)
「どんな自分もいつかの自分に必要だから」って書が飾ってあるんだけどね、いつも見る度に「そうだ、そうだ」と思うよ。
hiroちゃんの言うように『病気になったのは意味のある事』、それに、意味のある事にするためにも卑屈にならず前向きでいないとだめだよね。
極力、笑顔で努力!!だね (*^^)v

こんばんは(だいぶ遅いですが・・・)
告知から1年経つんですね。
いろんな想いが頭を駆け巡っていると思います。
告知の日は、この世の終わり”ってくらいに落ち込んで
悪いことばっかり考えてました(笑)
今の方がケロっとしているかもしれません。
病気になったことはきっと意味ある事なんでしょうね・・・
これからもお互いがんばりましょう!!

私は三人兄弟の末っ子ですが、上二人は親からカンドウ状態で
いずれは我が家が同居することになりそうです。

★ほっこ君へ

ほっこさん、こんばんわ~(さっきお邪魔したばっかだけど)
1年だね。長かった~(>_<)
うんうん、テンパッテた。
でも、あのテンパリも将来の自分に必要だったんだよ、きっと。
乗り越えられる人に、困難をあたえるんだよ…神様って結構すこいよね。
テンパッテた事を今更書くのは、嫌なんだけど…うまく説明できないけど「書いといた方がいいよ」って言う自分がいるんだなぁ。
この反省文だけは印刷してとっておくんだ。「戒め」かな (^^ゞ
息子君…早期発見と癌&医療保険ね。大事だよ。
うちは娘二人分加入した。
娘が出世したら掛け金分返してもらおうかな(笑)
あっ、誓約書に拇印させないと…だね。

★yattiさんへ

tattiさん、こんばんわ。
そう、同じマスオさん。しかもマスオさんひとりで東京単身赴任…
色々、我慢させちゃってるかなぁ。
でも、両親と旦那の間に挟まり、サザエさんも大変だよね!?
だから、極力世帯別々の暮らしは守ってるつもり…お互い干渉しないように、夕飯だけ一緒で後は別…。
yattiさんとは家族構成一緒だね、勤め先も同じようなもんか(笑)
yattiさんとこの娘さん、きっとyattiさんの克服ぶりを見て学ぶものがあったと思うよ。お洒落にしてるし♪
笑顔だしね。ヽ(^。^)ノ

同じくらいだったね。

私も思い出すよ。結果がほぼ癌と知らされ帰宅したとき
母が笑いながら神経質すぎただろって言ってきたのよ
思わず癌だといっちゃった。

親戚・近所絶対言いたくなくって頑張ったけど
親戚には母にしゃべられたよ。

まっ手術も付き添い要らないひとりでいいって
言い張ってぼーちゃん困らせた。

今考えるとすごくテンパッテいたな。
まっ、のんびり行きましょうね。

今息子には癌保険と健康診断の必要性を説いております。

マリラさんの所もマスオさんなんだね
うちもマスオさんです

1年いろいろな事があったよね。
思いもかけなかったことばかりで悩んだ

私は娘達には話せなかった
私がこんな病気になって申し訳ないと思って
ずっと嘘をついていた
クリスマスの後話したら二人とも驚いていた
しばらくたって部屋に行くと二人とも泣きはらした眼

これ以上悲しませる事はできないと思って
頑張ってきちゃった
今はそんな思いも消えているようだけれど
娘には同じ事で悲しませたくないから
早期発見をはなしているんだけれどね

★エノク管理人さんへ

はじめまして
こちらこそ、リンクお願いします。
お母様、良くなるといいですね。

先ほど、エノクにお邪魔しました…
とってもいい事だと思います。ぜひ、参加させてください。
多くの立ち止まってしまっているがん患者や、その家族の方が見てくださるといいですね。

ありがとうございました <(_ _)>

★dekoさんへ

うん、意地っ張りなんだよね。
去年の秋ぐらいから落ち着いてね、皆さんのブログに伺うようになって、反省しちゃった。
dekoさんのやさしさ…これも欠けてるなぁ自分は。(>_<)
さぁ、これからどうするかは解らないんだけど。
只今、反省期…
更年期かな??余分なこと考えちゃう…dekoさんどう?

★シロクマちゃんへ

そうかなぁ…40年以上生きてると色々な事があって当たり前…かも。
でも、今回の乳癌が一番インパクト大!!(それも当たり前か(^^ゞ)
考え方変わったもんね。
おかげさまで、母は元気だよ…
でも補聴器ないと会話にならないんだけどね。
それがかえって良いみたい=父の小言も聞こえないって(^◇^)
記憶だと4歳の頃から夫婦喧嘩の仲裁しててね、それに最終的に父の味方の祖母が加わると、ややこしいややこしい…(>_<)
夫婦って難しいね。
ハトコの母さんもシロクマちゃんと、ハトコさん重ねてたんだろうねぇ。うん、切ないね。

★ぷるぷるさんへ

ありがとねぇ~ヽ(^。^)ノ
ほんとに一杯一杯だったんだけどね、娘たちの明るさに励まされてたよ。
ぷるぷるさんとこのお義母さん…子宮がんで抗癌剤も乗り越えたんだね。
(汗)はおいといて、こういう先輩が近くにいてくれるってのはいい励みになるよね。
身近にがん患者のいる人のほうが、告知後の気持ちの切り替えが早いと思うよ。


★スリールームさんへ

こんにちは。お久しぶりです♪
スリールームさんは先に腫瘍を採ったの?
放射線治療ができない病院だったようですね…
でも、今はO先生やW先生に診ていただいているようで、
心強いですね。
O先生は日本中でひっぱりだこ、モテモテですね。
TV出演も度々なさっているようで、ほんとお忙しそうです。
これも信頼おける技術の高い腕と知識を持っているからでしょうね。
そうそう、同じ悩みや苦しみを味わう人がいなくなるように、
自分にできることはやっていこうと思いますよね。
(^v^)遅ればせながら、誕生日おめでとうございます。
45歳でしたっけ??いい1年にしてくださいね~♪

「マリラ 乳がんに克!」
管理人 マリラ様

はじめまして 私はガンと闘う人のコミュニティサイト「エノク」(http://www.henok.jp)管理人です。
貴サイト「マリラ 乳がんに克!」を拝見いたしました。とてもきれいなサイトですね。そして多くの方々に読んでもらいたいと思いました。事後報告で大変恐縮ですが、勝手ながらリンクを張らせていただきました。ご了承いただければ幸いです。(もしもご迷惑でしたら、すぐに削除等の対応をいたしますので、お手数ですがご一報いただければと思います。)
自己紹介をいたします。私事ですが、母が最近直腸がんになり、インターネット等で色々と調べる中で、患者と家族を取り巻く環境の中にとても不便なことが多いのに気づきました。そして患者や家族の間の情報交換でこれを解決できるのではないか?と思い、コミュニティサイト「エノク」を作りました。
ひとりひとりの個人の力はとても弱いですが、個人の声を集めれば大きなうねりになると思い、この様なサイトを構築しています。

◎リンク集 乳がん
http://www.henok.jp/link14.shtml

貴サイト名 :「マリラ 乳がんに克!」
貴サイトURL:http://marira.cocolog-wbs.com/blog/

上記の登録内容に問題がありましたら、訂正いたしますのでよろしくお願い申し上げます。
また大変恐縮ですが、もし相互リンクをお願いできましたら、下記の内容でお願いします。
サイト名:「ガンと闘う人のコミュニティ掲示板 エノク」
URL:http://www.henok.jp
サイト紹介文:日本中の「ガン」と闘う人が安心して情報や気持ちを交流できるコミュニティサイト 

もしお許しいただけましたら、「マリラ 乳がんに克!」管理人マリラ様に今後もご指導をお願いできればと思っております。色々なご要望を取り入れて皆様に愛されるサイトにしていきたいと思っています。
ご縁がありますことを切に祈っております。

マリラちゃん 1年たつんだね。
 まわりに心配かけまいとしていたんだね。
 わたしなんか わざと心配かけさせちゃたな。。
夫にも病人を大事にしろ~と詰め寄ってたシナ。。
 ちょっと反省しました。。

皆さんのこれまでの人生の一端を伺うと、本当に、
みんないろいろがんばってきたんだなあって、しみじみ思います。
今の時代なら、気の合わない夫婦、無理に一緒にいることない、
っていう選択も比較的容易になってきてるかもしれませんが、
マリラさんのご両親の時代、そういった決断は女性にとって
かなり重たいものだったと思います。
マリラさんは今、「鎹」としてがんばった自分を後悔される面も
あるようですが、子供としてもなかなか、「お母さん、別れちゃいなよ」
っていう気持ちにはなれない時代だったんじゃないかなあ。
お母様、今は元気にしてらっしゃるんですか?
マリラさん、元気で長生きしないとね!!
ところで下の記事のお返事のお返事みたいな話ですが、
姉の幼なじみも白血病だったの。
そして私の同じ年のハトコも19歳の時に白血病で亡くなりました。
私が結婚したとき、ハトコの母である父のイトコは、
それはそれは喜んでくれたそうです。
でも、嬉しいと思ってくれるのと同時に、
切なさもいっぱいだったろうなあって思ってしまうのでした。
ねーさん、アタシ、基本的に泣き虫なの。
それも年と共にひどくなってきたわ。どーしましょ。

娘さんに話したこと、私は正解だったと思うよ。

私の義母は子宮がんで、6年前にオペをしています。
早期ではなかったけれど、抗がん剤も乗り越えて、
今では家族で一番元気(汗)

その義母の姿を見てきたから、私はがんに対する
恐怖心が少なかったと思う。
がんだって、元気になれるって思っていたから。

マリラさんも自分の元気な姿をたくさん、
娘さんに見せてあげて!!
きっと、母の復活してく姿は娘さんを勇気付けてくれると思うよ。

こんばんは。

遅ればせながらティシュ配りお疲れ様でした。

私も2006年の7月に告知を受けました。
最初に腫瘤だけを摘出した病院でした。
そのあと、温存するなら放射線治療のできる病院ということで、
H医大を紹介してもらいました。

私の反省はオンコロジーセンターのW先生にも
言われましたが、最初に専門医のところに行かなかったことです。
結果的にはO医師という主治医に巡り会えましたけど、
2回も手術を受け2回とも断端陽性の結果を受けることに
なってしまったからです。

病気になって経験したことや体験したことを伝えつつ、
反省すべきことは反省して、同じ苦しみを味わう人が
いないようにしていきたいですね。

私も個人的な反省です。

そして今日は私の誕生日。
無事迎えらたことに感謝しつつ、去年までの自分とは
違ってどんなことでも幸せに思える今の自分が嬉しいです。

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